ブログに近い

ラッパーです。

三月

スーパーの陳列棚で
目当ての商品がなかなか見つからない時
一歩うしろに引いて全体を見れるように視界を広げるあの動作


あれみんな技名つけてる?


俺はね、イーグルアイ

心の中で毎回唱えてしまう。


禁酒しないといけないよなと思いながら
二本目のビールのプルタブに手をかける。
食卓で塩分を舐めては喉を潤し
それを毎日繰り返している。

最後に休肝日を作ったのはいつだろう。
球児が毎晩バットを振るような「継続は力なり」。
そんな約束を反故にするがごとく
アルコールの分解力は日に日に落ちていく。

幸運にも体調はなんら変わりなく
日常を謳歌するには余りあるほど愉快ではある。
しかし内臓系の病気というのは恋と同じで
曖昧に始まり、芽吹くときは突然だと相場が決まっている。
そして芽吹いた時にはもう遅いという点まで一緒だ。

やがて襲いかかる不測の事態を想像して
猛獣を手なづける調教師みたいに
優しく肝臓の毛並みを撫でている。
いいかお前だけは牙を剥いてくれるなよと。

禁酒を意識し始めたのは昨年末。
病み上がりだとか様々な条件下ではあったが
たった2杯のハイボールで失神してしまった。
生まれて初めてのブラックアウト。
倒れるその数秒前まではすごく楽しかったのに
コンセントを引き抜いたみたいに意識が途絶え
次に目が覚めた時にはN.W.Aのジャケみたいに見下ろされていた。

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馴染みの店内でよかった。

昔はこんなんじゃなかった。
もとより酒豪ほど強くはないが
朝までは楽しく飲めるくらいには元気だった。
どれだけ飲んでも理性を飛ばしたことはないし
酒での失敗がないことが自慢のひとつでもあった。

しかし最近は酔って別の自分が出てくることが増えた。
翌日にお伺いの電話をいれることもあった。
昨夜の僕は失態を犯していないでしょうか、
謝罪すべきことはなにかありますでしょうか。

酔っている自分の姿は聞くに堪えれるものではないのと同時に
それがコンテンツとして消化されることに対しても疎外感を感じる 。
友人が、 別の知らない友人と知らないトピックスで楽しんでいるときの肌寒さと似ている。

どれもこれも記憶が曖昧ではあるが
話を聞くに、常々思っているようなことを
別の自分が代弁していることがほとんど。
その故非常にバツが悪い。

それでもどうしてもお酒が好きだ。
アルコールが好きというより
飲酒という行為の虜になっているのかもしれない。

失態を思い返しても楽しかった記憶がギリで勝つ。曖昧なりにキタノブルーのようなフィルターがかかる。


いまだに派手な飲み会や騒々しい集まりは嫌いだ。
あくまでしっぽりと慎ましく
本のアイデアを出し合うような会話をしながら飲みたい。

先日カラオケバーにて
弊社社長が渾身のミセスグリーンアップルを歌唱している際
「きっつ!曲がきつい!」と野次を飛ばしてしまい
翌日素面に戻った社長にそんなことを言っていたよと指摘される。

身に覚えがないっちゃない。
本当にそれは自分なんだろうか。
優しい口調と相反したやけに座った目、
その寒暖差に風邪をひきそうになる。

ごく最近、炭酸水でも十分代替されることに気が付いた。
ある程度飲むと、別の自分の登場の気配が漂う。
そうなると恥ずかし気もなく炭酸水に切り替える。
そうして自分は自分のままでいれる。

 

昔、飲酒の作法は難しいと太宰治の本で読んだ。

どの本かも忘れたし調べる気もないがとにかく酒の席で調子に乗るな的なことだったと思う。

人が酔ってる姿も面白く感じてきた。

そういうのが変化というならもうそれはそれでいいかとも思う。

どちらにせよスタイリッシュでいたいだけだ。

 

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ベランダから見る建設中の隣のマンションの工事が佳境に突入し、全貌を覆う防音シートなるものがお披露目を待つベールみたいに勿体ぶっている。

お楽しみに、とでも言われているみたいだ。舐めやがって。

 

髪を束ねて家を出てみるとオーガニックな人間になった気がした。少なくとも内臓は悪くなさそうな。メタ認知を高め、俯瞰で見ることを忘れないように生きる。

イーグルアイ

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