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ラッパーです。

昔から好きだったものが大勢に認知されていくことについて

標題の件

 

供給されるものだけでは満足ならんぞって具合に当時少年の僕はひたすら情報に飢えていた。

立ち読みでリリース情報をメモり、街に一つしかない本屋でCDを注文する。

HIPHOPマガジンSOURSEが発売されて(しかもmixCD付、しかし3号で廃刊)

日曜朝5時にはスぺシャで日本語ラップ特集が30分だけ放送される。

見逃してはならない。

どれだけ宿題に追われてても部活で疲れてても音楽を掘るのだけは日課だった。

「クラスメイトの知らないクールなカルチャーに俺は触れてるぜ」だけが隠れ蓑だった。

 

でもそれは10数年前の話。

 

今じゃみんなカルチャーカルチャー。

君が着てるものはかつての僕の隠れ蓑ではないのか?トップスとしても案外イケるんだね。

シャツの下にこっそり見せるアクセントでもOK。今や色もサイズもなんでもあるって!

 

「戸髙くん、君も今流行りのブルゾンを着ているね!」

 

違う、ファストファッションと一緒にしないでくれ、これは10年ものの布切れなんだ。

 

とはいえ本来は喜ばしいものなんだこれは。

昔よりサブカルチャー受け入れ体制が整ってきた。

過去のコアは今の主流。

時代が追い付いたというわけじゃない。ただ供給されるものの品ぞろえが増えただけ。

 

今や年頃な女の子さえHIPHOPナチュラルに聞いて、再生画面のスクショをストーリーに上げて日々楽しそうだよ。

 

そこに「本当の良さを分かってない」「にわか」「マァファカ」って糾弾するのナンセンス。

イイものはイイでいいじゃないか。いつだってそのにわかなポーザーたちが文化を広めていく。

モノが悪くなったわけじゃない。軽量化は進んだけどね。

しかし問題はそこじゃない。

 

昔好きだったものが流行ると寂しくなるよね。

あれなんだろね、未だ全然慣れない。

 

  • 応援してたから広まってくれて嬉しい!

         ⇒聖者

  • 寝取られた気分だ

         ⇒心の狭いデブ

 

こうなるのも仕方ないんよね。

でも並んでまで買った限定版のスニーカーが後日大量生産されたら悲しくない?

しかも限定版とは外観で見分けがつかないの。全く同じもの。

 

「並んでた時間が大切なの」

でもそれも分かる。

 

掘り当てて聞いた曲の方がやっぱクルものあるよね。

ただでさえ大量消費の時代、

思い出とリンクさせるのさえ時代遅れなのかもしれないが、

当時の僕は現にくらってたわけなので。

 

要するに。

考えてみた。

僕はおそらく「この良いものは昔から良いんだよ、今に始まったことじゃないんだよ」って言いたい。

でも言うのはダサい。

 

結論

「良いって思ったものはその時その時で口に出していった方が良くない?」

 

今まで何度もある。

人に教えたくないほど、独り占めしたくなるほど好きなものを

本当に発信しなかったばっかりに後々上記同様悔しくなってしまったこと。

「そ、それ良いよね」ってフガフガと言えた頃にはみんな周知の事実。

 

ならば「好きだ!」って思ったら小さいことでも発信してみる。

「めちゃめちゃ当たり前のことじゃん」って思われるだろね、でもそれが苦手。

でも自分だって迎合していかないと。

 

「言った通りだったろ」の数を増やしていきたい。

言霊とはまた違う。

承認欲求と自己顕示欲の塊だなあとはつくづく思うけど。

あの頃もきっと隠れ蓑にする必要はなかったんだろうな。

 

PS.昔からのファンより単純に売れた人の方がすごい