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ラッパーです。

5歳まで女の子として育てられた話

中学。
クラスの女子が保育園の頃の写真を持ち寄って意見交換中。
ふと輪の中を覗き込むと誰もが頭を抱えて、ああじゃないこうじゃないと論議
聞くと、「この女の子は誰?」と下駄箱に立つその子を指さす。
小さなこの町では保育園から中学まで同じメンバー、そのはずなのに、この写真の女児は誰だ。が論点。


5歳まで女の子として育てられた話

LGBT的な話じゃなく。


女の子が欲しかった両親の気持ちなど構うものかと
1991年に堂々と陰茎を揺らして誕生したのも束の間
生まれてすぐ女児服を着せられる。

髪も背中まで長く、誰が見ても女児。


その頃の記憶を辿ろうにも
すぐに空間系のエフェクトがもやもやと邪魔をして
ページが破られたみたいに一向にそこに辿り着けない。

母曰く
「保育園でプールの時間が始まり、髪を切らないといけなくった。
仕方なく短髪にしたそのときまで、あなたは女の子だった。」とのこと。

いやいや、問題は女児期間が「いつ終わったのか」ではなく「何故始まったのか」なのだが。

物心のついていない年齢だったのか、当人にその記憶はなく
ただただ「女児だった」という昔話だけを聞かされていた。
幸いなことに、クラスメイトも同様に覚えてないらしく
それを良かれと、そんな過去など無かったことにしていた、が。


「この女の子は誰?」
指の先、写真の自分と目が合う。
瞬時「誰だろね」と言ってその場を逃げる。
心臓が徒競走の後みたいに跳ねていた。

絶対にあれが自分だと知られたくなかった。


5年は長い。あれ以外にも事実を裏付けする写真はまだまだあるはず。
小さな町にも、自分が思うよりも多く。

その全てを焼き払ってしまいたい。


あと自分と同じ28歳の男と比べると
みんなより男歴が5年浅い。
多めに見て欲しい。


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人からよく本を薦められる。

よく、というのは何となく頻繁に本を薦められているという体感であり
別に人と比べたことがあるわけじゃないが。

「きっと気に入ると思う」と詩集をもらったときも
「読んでみるといい」と小説をもらったときも

どことなく
「お前には足らないものがある」と糾弾された気持ちになる。
そのくらい「本」という存在は含蓄を固形化した説教臭いイメージが、未だある。

でも大抵は読んだら気に入る。
良い本を仕入れた喜びももちろん、
それ以上に自分に似合う服を他人が分かってくれている感覚に、
感謝もひとしお。

地球のみんなありがとう。

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頼んだ定食が出てこず
ひたすら残りの昼休みの時間を逆算する。

思えば混んでる時点で避ければ良かった。
入店した途端、店員に「こちらで座ってお待ちください」と言われてからはもう逃げられず
満員の店内と、レジ前の待機椅子に自分ひとり。

見渡す限り壁のない店内。
今まさに食事をしている人たちから見る、レジ前でただただ待つ自分の姿を俯瞰で想像して
こっぱずかしくて死にそうになる。

「あいつは並んでまで食事をしようとしている」

「どう見てもあの体つき栄養足りているはず」

人より先に食事を摂ったことを武器に
鬼の首を高らかに掲げられてるよう。

猫背に拍車をかけて気配を消す努力をする。
見晴らしのいい店内レイアウトを憎んで
会社の人間と出くわさないように祈るばかり。

やがて席に誘導されて、話は冒頭へ。

頼んだ定食が出てこない。

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